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カレーを作った。が、何故かあまり美味しくない。具材はじゃがいも、にんじん、玉ねぎ、と隠し味の野菜ジュース。使ったのはゴールデンカレー。間違いなく書いてある通りに作ったはずだが、最後の工程「とろみをつけるまでかき混ぜる」の所要時間は約5分とあったが、なかなかとろみがつかない。結局原因がよく分かっていない……。食材はどれも今日買ったものばかりだから単体で食べるとかなり美味しいのだが、ルーが微妙だ。とろみをつけるために片栗粉を入れたのが良くなかったのか?でもそんなに入れてないし……。まあなんにせよ人参の甘みがハンパじゃなく美味しい。

 

昨日思ったことなのだが、僕は「人に生かされている」と感じることに対し今まで肯定的に捉えていた。友人らの暖かみは、僕にとっては雛を育てる親鳥のようである。僕は自分が優れているとは微塵も思わないからだ。しかし周りの人間は僕と同世代の人間だ。このことを自覚してしまうと「生かされている」ことに息苦しさを感じる。消えゆく命が無理矢理つなぎとめられているような気分になる。簡単に言えばこの世の足手まといなのだ。最近、生きてていいのかなあと漠然と感じるようになった。別に自殺しようなんて思わない。だけれど、せめてこの息苦しさをどうにかしたい。どういう時に僕は「生かされている」と感じるのかが問題だ。

 

最近、大勢が苦手だ。大勢、と言っても、集団の中にいる時に限る。例えば部活。というか今の自分にはこれ以外の集団はない。酷く有りがちな悩みだと思うが、集団内にいると別に俺はここに要らないではないかという感情に襲われる。でも誘われて、その集団にいる時、僕は「生かされている」と感じる。

 

パ同の集まりや、卒公の決起会にいた時、この感情が強く現れた。また、大勢でカラオケに行きたいと思わないようになった。自分の歌を聴きたい人などいないだろうに、その場にいるのはどうも苦しい。

昔の自分と変わってしまった。昔はもっと自分を自由に、半ば無理矢理にでも発散していた。自分が歌いたいから歌う、その気持ちしかなかった。しかし去年から少しばかり、自分を変えようとして人を思いやるようになった。

 

急激に息苦しくなった。人を思いやる、なんて生き方は、きっとみんなから愛される人にしか出来ないのだと思う。正しく言うならば、愛されるように生きた結果自分を抑えることを自然にできる人は、愛されながらにしてこの息苦しさから脱却しているのだ。

 

大勢というか強力な集団性を感じるとこうなるのかなと、今、とりあえず自分の症状を確認したのだった。

 

 

偶然にもテレビから「息苦しさ」と聞こえてきてクスリとした。肺炎の話だって。