頑張って

頑張って

お父さんのお姉さんがおじいちゃんに話しかける。僕はこの言葉に引っかかっていた。コンビニで買った昼食を食べている間も、あさのあつこの小説を読んでいる間も。脳みその部屋の隅で、小さな虫が物陰から姿をちらつかせているようにこの言葉が落ち着かない。

 

頑張って

ってどういう意味?一秒でも長く生きるためにってこと?……あーそうか、お兄ちゃんが今向かってるもんね。とりあえずそう解釈したがお兄ちゃんが病室に入ってきた後もこの言葉は依然としてベッドで横たわるおじいちゃんに向かってお花に水をやるように注がれていた。

 

頑張ってね

お兄ちゃんはおじいちゃんのそばに行って顔を見て、おじいちゃんがお兄ちゃんを認識したと分かるとそう言った。

 

病室には両親と、僕ら三人の兄弟と、お婆ちゃんと、お父さんのお姉さんとその夫と、合計8人がいた。おじいちゃん含めて9人。僕は暑かったので部屋を出た。近くの談話ルーム─そこには丸テーブルが3つと、ちょうど1人横になれる幅の緑色のソファが1つあった─そこは小さい休憩室で、僕はそこで村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を読み始めた。

 

頑張って

ってどういう意味?僕はあの病室にいる人たちのスタンスが分からなかった。みんながそう発したわけじゃないけれど。

生を応援しているのか?

死を待っているのか?

どっちなんだ?

どっちもなのか?

僕らがここに集まったのはおじいちゃんの死がもうすぐそこまで近付いたからじゃないのか。生を応援しようと言うのなら死の直前ですることではない。

 

死は人生の終末ではない。生涯の完成だ。

ルターはそう言った。

ならば。

''より良い生涯の完成''

これこそが僕らが望むないし待ちわびるものなのか。

より良い生涯の完成を。

絵の具を塗れるだけ塗るように。亡くなる寸前まで生命をキャンバスに染み込ませるように。

ゴールテープに向かうおじいちゃんを僕らは遠く後ろから応援する。ゴールの先に僕らはいない。そういうことなのかもしれないな。頑張って、っていうのはお疲れ様、ってことなのかもしれないな。

 

とはいえ、もう86年も生きてきたんだ。もう頑張ることなんてないんじゃないか。そもそも人間は頑張らなくちゃいけないのか。

どんな人生だっていい。そう思う。