思考の整理と四次元ポケット

ものについて考えていると、それぞれはどうもバラけてしまう。勉強のこと、見たいアニメのこと、数日後の予定や会議。

ドラえもんの四次元ポケットの中は広大無辺だというのはよく知られている。僕はその性質についてなにか思考の海と似たものを感じた。

ドラえもんは、これだ! とならないと適切な道具を取れない。パニックになっているドラえもんは「あれでもないこれでもない」と言いながら四次元ポケットから要らない道具を放り投げる。

このポケットとは少し詳細が異なるが、人の脳内でも似たようなことが起こるんじゃなかろうか。起こる、かはともかくとして、中身はきっと似ている。

使わなそうな道具はポケットの外に出しておくべきだし、危険度の高いものは管理を怠らないべきだ。

ポケットの整理は、脳内の整理と同一だろう。

そういうわけで、もやもやしたことは日記に書き留めておく。ポケットから出す行為だ。

例えば今〇〇さんと気まずいなあと思っても、しばらく会わないならその思考はどかしていい。日常に支障が出るからだ。眼前に素晴らしい景色があるのにふとした瞬間脳をよぎってしまえばそれは些細な歪みを生む。(もちろん、適当なタイミングでそれを掴み味わい処理する、というのも乙なものかもしれないが。)

 

優先順位をつける、というのも整理の一つだろう。これはよく知られているし、実際活用する人も多いだろう。

 

''管理を怠らない''必要がある思考とは。

思考というよりは、意識、なんだろうか。

ポジティブシンキング。

限定された人の前での行動指針。

 

なんでこんな話をしているのかというと僕はよく頭の中がゴチャゴチャになるからだ。

選択の決定を行うことで見えなくなるものがある、というのは有名な話だと思うが、僕は何も決定出来ないので常にゴチャゴチャなんだな。全てが一直線上にある。逆に、賢い人というのはその精査速度が速いのだろう。優先順位順に並べ、四捨五入して要らない要素を切り捨てることができる。

 

さて、最近Twitterをやめたのだが、(リア垢を消した)そのおかげで頭の中に無駄に入ってくる他者情報をカットすることが出来たと思う。

 

他者情報はゴミ同然だがちっちゃすぎてわざわざ日記に書いて吐き出すほどのものでもない。が、いずれ大きな塊(排水口に詰まった自分の髪の毛の塊のよう)になりうるので、変な話、ハゲの方がいいということだ。

 

頭の回転を速くしたいものだが、そう簡単にはいかない。地頭によるところが大きいだろうし。

せめて脳内管理が杜撰にならないよう、努めたいと思う。いざって時にポケットからさっと飴玉を渡せるように。

 

キャラの意志が見えてきた~

キャラの意志が見えたきたぞ~~~(登頂のテーマ)

 

どぅんどぅんどどどんどんとどん

 

ツイステのシナリオから学ぶことがあってやってて良かったという感じがするよね。

ラッキー。

 

これからはキャラの意志変動に着目して映画とかアニメとか見れそう。ぴーすぴーす。

漠然と

漠然と

 

四限が終わると作業机から離れて座椅子に座り、なんとなくテレビの電源をつけた。気付けばYouTubeで好きなアニメを見ていたが、そこに映る彼女たちの吹奏楽にかける思いはどうしようもなく眩しく、陽光のように感じられた。ふいに、自分は何を目指しているのか、と自分に問う。具体的な言及はしないが自分にはやりたいことがあり、それは明確に言葉にすることができる。しかし、僕がこのアニメを見て勇気をもらっている間、画面越しの彼女たちは凄まじい練習を積んでいた。太陽が何度も落ちては昇ってくる。僕はそれを停滞した時間の中で見続けていた。

 

漠然と、放課後、僕は普段何をしているのか思い出せなくなっていた。気にしたくないから、だろうか?

 

次に進まなくてはならないという焦りもあるが夏休みまであと少し、たくさんの期末レポートを片付けてしまわないといけない。

 

自分のやりたくない事に立ち向かうことが出来ないのは悪いことなのだろうか。それとも好きなことが本当にしたいという気持ちの現れだろうか。

 

考えていたら少し頭が痛くなった。誰と話したい気もするが、他人はどこまでも他人だ。あてにしてもしょうがない。自分と対峙しなければならないと、強く感じた。

一本書ききった(7/18締切)

先日、オンラインの短編戯曲講座で短編一本をこさえた。尺は10~15分(4000字)。

 

書き切ったとはいえ納得のいく出来ではなかった。正直なところ出来栄えは微妙であるが、書いてみたかったテーマというか事件を用いてのトライだったので、書くこと自体は楽しかった。まあ、いい経験になっただろう。将来はもっと上手に書けてるといいな。

 

脚本を書く会に向けてこれからもう一本書かなければならないのだが、締切が明後日の夜。しかも尺は30分程度(10000文字くらい)なので尚更やばい。書き終わる気がしないです。条件付き脚本だから場所とか背景といった設定は決まっているから少しは負担が減っているはずだが、しかし書き慣れないテーマでビジョンが見えてこない。果たして書き終わるのでしょうか。

筆の速さが試されている気がしますね。

昨日今日とバイト続きなので、時間もあまりありませんが。

 

バイト明けなのでとりあえず一休みします。

スマホのない生活

先日バイトの送迎の車にスマホを置いてきてしまったことがあり、約30時間ほどスマホのない生活を送ることになった。

 

スマホ依存気味だったが、いざこうして手放してみるとスッキリした。脳みその一部がなくなったような。果たしてその一部というのはどれぐらいの割合を占めていたのだろう……。

 

その日、友達に会う約束が二つあった。

一つは観劇。元々間に合うか分からなかったため予約はしてなかったが、とりあえず会場に向かうことにした。スマホがないので地下鉄の発車時間が分からなかったが、7分に1本来るから特に心配なし。だが、そもそも時間が分からなかった。腕時計を持っていないという事実が急に降ってきて、えも言われぬ''不足感''があった。不足は不安を生む。大丈夫かな……と少し心細くなってとりあえず近くの駅まで走る。

【思ったこと①】

手持ち無沙汰。地下鉄の待ち時間。言うまでもないがTwitterもLINEも見れやしない。汗をかきながらホームで一息ついた。心なしか目線より上を見る時間が増えたように思う。増えただけじゃなくて、外に意識が向かうようになった。エスカレーターから降りてくる人は男性だろうか女性だろうか、かわいい人だろうか、イケメンだろうか。あらゆる関心が、普段はスマホの中に閉じ込められていたんだなと感じる。夏目漱石の言葉に「過去を云々 未来を云々、今を生きろ」的な言葉があったと思うが、それを実感したような。今目の前で起きていることに目を向ける価値をなんとなく知らされた気がした。

・・・

まあ、ここで特に何があったわけでもないのだが。なんなら寝てて一本乗り過ごした。間に合ったのでよしとする。

会場で無事友達と合流し、友達に事情を説明して色々お願いした。同じバイト先の友達にスマホの話をしてもらったり、今日の二つ目の予定について友達に連絡してもらったり。

忙しい

忙しい。

将来のために向けてやってる事はいくつかあって

・映画鑑賞(週6本)

・「脚本を書く会」への参加

・短編戯曲講座への参加

・バイト(将来のための貯蓄 ひとまず100万)

この3つ。

映画鑑賞というよりは「自分好みの作品」の理解を深めるための作業。にしても多い。ただでさえ忙しいのにそんなに見なくていいんじゃないかと思う。小説も週1~2本挟みたいし。

 

言うまでもなくここに授業が入ってくる。これが厄介だ……。

で、もう一つやりたいのが「シナリオの勉強」。先輩に並行してやることを薦められた。どうも忙しくて、と思っていたが動き出さないとまずい気がしてちょっと焦る。大学受験勉強で言ったら2年性の夏や。受験の天王山や。

焦る~~~。

 

授業に関しては本当に金で誰か雇いたい。代わりにやってくれ……まじで。

 

自己満足度の高い短編をこさえた

OBの先輩が主催してる「脚本を書く会」。

これに提出する短編をこさえた。ねりねり。

ちょっと触れづらいテーマであるため、正直周りに好かれるような作品ではない気がするが、わりとよくかけた気がするぞ。安直なシーンは一つもないつもりだ。

そのシーンが本当に必要か。

その流れだったらもう少し口をついて喋るんじゃないか。

などなど考えながら台詞を書いた。声に出して読んでみると結構書きやすいし、読みやすく、違和感のない文章になる。

声に出して読んでみるっていうのは個人的にはあくまで総仕上げみたいなところがある。それは先行するものではない。(なんでなのかと聞かれると答えにくいが……)

 

気付いたら要らないシーンを書いていることがあるが、まあ最初はそれでいい。とりあえず書いて、今どんな感じか上から見て、伸びそうな枝はないか探る。要らない枝は切り落とす。時間をさけばさくほど枝は不用意に伸び、なんだかかわいそうに思えてしまって切りづらくなってしまうが一思いに切るのがいい。一つの大木を完成させるために、少しでもそぐわない枝は切り落とす。伸びていてもおかしくないところは程よく伸ばしておく。

 

PCに打ち込んだ何百文字を一度に消してしまうのは惜しいが、非常に大事なことだなあと思う。