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バイトの迎えが来るまでの時間は暇というか、やることが限られてくる。今だいたい15時前くらい。あと1時間ちょっと。

 

今日は比較的早起きだった。8時半。昨日布団に潜ったのは1時前で、たとえ寝れなくてもスマホを見ないようにと目をつむって横になっていたが、30分もしないうちにスマホを見ていた。結局寝れたのは3時頃……。

土曜日だから授業こそないけれど、バイト先で寝れなくなるとあとが辛いし、いい加減生活リズムを直さなくちゃいけないなと強く感じていた。

最近は肌に気をつかっているのだが、毛穴とか青髭が気になるとか言う前にそもそも生活が崩れてるんじゃ意味がない。まずはちゃんと寝る。早寝早起きする。掃除する、野菜をちゃんと摂る。まあやらなくちゃいけないことはたくさんあるが、睡眠は生活の心臓と言っても過言ではないのだ、これが出来なきゃ本物にはなれない。(本物ってなんだ)

 

したがって、今日は無理矢理にでも起きようと思ったのだった。

 

さて、目覚ましをかけるというのは確実性があるが、個人的には弱点もあると感じてある。それは「今何時」が分かってしまうことだ。もしそれが6時だった場合絶対二度寝する。6時に起きる必要性を感じないからだ。だから、敢えて''かけない''。午前に授業がある日は怖くて使えないが今日は土曜日。身体が自然に起きた時に起きる、これが本来の睡眠だろう。

 

この作戦は見事成功。眠たい目を擦りながらも布団をたたんでしまった。あとはその勢いでお手洗い、そして洗顔、歯磨き。100点満点の滑り出し。昨日買ったミューズリーグラノーラみたいなやつ)を取り出し、一時の迷いもなくお湯を沸かす。97杯分で370円という驚異の低価格の珈琲が最近の楽しみだ。正直大して美味しいとも思っていないが、こういう最低限の食事はあらゆる欲求を抑える力がある。

 

当たり前の話だが、お金がなければ安いものを買う。その逆ももちろん成り立つのだが、お金があるからといって高いもの・良質なものを買い続けると幸福に対して過敏になりすぎてしまう。最低限の幸福を、とは言わないがそもそも幸福に上限はないのだから。馬券が一度当たってしまえばより高額な値段を視野に入れるようになってしまうのだ。こういうのは健康的とは言わない。

 

最大無限の幸福を獲得するに越したことはないが、欲求は丁寧に扱うべきである。

そういった僕なりの感覚があるので、たまに24時間の断食をしてみたり、こういった簡素な食事を摂ったりすることを好んでいる。

 

食事後は好きな曲を聴きながらギターの練習。最近はもっぱら「DUSTCELL」にハマっている。自分でプレイリストを作ってひたすら流していたおかげで、歌詞やメロディが頭に染み付いてきた。

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もうじき15時半になる。また余裕があれば書きます。

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以前、部員紹介の人の多さに驚いたというか軽く引いたということがあった。あれは「自分を紹介したい」という感覚が理解出来なかったからだ。

 

今日も部活関係で脳内がざわついた。

 

オープンチャット…………果たしてこれにどれくらいの上級生たちが関わっているのだろうか。考えると不安になってしまう。主観でペラペラ喋る者、最もらしい嘘をつく者。そういうのを自分の目で見たくないなあという自分の拒否姿勢が愚かしい。俺の考える範疇ではないのだ。いつからこんな不安を抱えるようになったのだろうか、行き過ぎた思慮は精神に良くない。

愚かな点としては

どれくらいの人が関わっているのか分からない/2年生がほとんどで3年生は2~3人しかいないかもしれない/てきとうなことを言うとは限らないし、そもそも何かしら話さないといけない

 

これらの点が分かっていながら無駄に不安になってしまうのだから、思考の扱いが下手くそなんだなあと思う。

(これは後で気付いたことだが、まだ面識のない新入生と積極的に関わろうとするかどうか、という考えよりも「何かを教える」立場にある先輩たちというのが、俺は苦手らしい。)